子どもの頃から大好きで何度も見ていた『となりのトトロ』。
もうすぐ2歳になる子どもと一緒にまた最近よく観るようになりました。何度見返しても発見があるし楽しめる素晴らしい作品だと思います!
そんな『となりのトトロ』の舞台設定は昭和。平成生まれの私にとって、ちょっと疑問に思う点がいくつかありました。
この記事では
- 昭和が舞台『となりのトトロ』のちょっとした疑問を解決
できるようまとめました。
『となりのトトロ』はいつの時代のお話?
1953年(昭和28年)を舞台に作られたお話です。
大戦後8年、NHKがTV放送を開始した時期ですが、まだ一般家庭にTVは普及していない時代です。
作品の監督である宮崎駿が、映画『コクリコ坂から』のパンフレットに掲載された情報の中で
「『となりのトトロ』は、1988年に1953年を想定して作られた。TVのない時代である」と語っています。
宮崎駿は1941年生まれなので、47歳の時に自身が12歳の時代を舞台に作った作品ということになります。
12歳というとサツキちゃんと同じ年齢で、小学6年生です。ちなみにメイちゃんは4歳という設定になっています。
ちょっと気になるトトロの「なぜ?」を解説!
サツキの家の風呂釜は2つあります。
小さい方の風呂釜は何に使うのでしょう。
サツキたちが入っているお風呂は長州風呂(現在では一般的に五右衛門風呂と呼ばれる)というもので底がかまどになっており、薪をくべて下から水を沸かして使います。(当然底はものすごく熱いので、スノコを敷いて使います)
かまどは外にあり、直接火を焚いて水を沸かしているので温度調節が難しく、大変です。
そこで役に立つのがこの小さい方の風呂釜。
こちらにあらかじめ熱いお湯を沸かしておき、浸かる用の大きな風呂釜の湯がぬるくなった時、小さい釜から熱いお湯を足しすことで温度調節ができるのです。
これは大家族の住む家に見られる風呂の特徴です。
何人もが風呂に入るうちに湯は冷め、量が減っていきます。その時に熱く沸いた湯を加えることで、外から追い焚きすることなく、次の人に気持ちよく温かいお湯に浸かってもらうことができます。
これは井戸水で洗濯をしているシーンですね。
現在は水道設備が整いあまり見られなくなりましたが、井戸水はこの時代ではよく使われていました。
井戸水は水道水とは異なり、地下水を源泉とします。
地下水とは、雨が地面に浸透し土や石によって自然に濾過され溜まったものです。濾過の工程で雑菌を持った雨水がある程度綺麗になります。
地下水を汲み上げるためにサツキたちが使っていたものを手押し井戸ポンプといいます。
ポンプの中をピストンが往復することで連続的に液体を押し、圧力を高めて水を押し出す、という仕組みです。
おばあちゃん「川で水くんできてくんな」
サツキ「川で?!」
メイ「メイも行く!」
サツキ、川で水を汲む
メイ「お魚とれた?」
井戸ポンプへ流し、ポンプを押す。
サツキ「おばあちゃーん、出たー!」
おばあちゃん「よーぐ漕ぎな〜、水がちべたぐなるまで」
サツキ「はーい!」
というシーンがあります。
長い間使っていないポンプは配管内部の水が下がって、そのままでは水を押し出すことができません。
サツキがやったように外から水を流し入れ、水によって隙間を埋めて配管内の気密性を高め、地下水を押し上げるのに必要な真空状態をつくりだすことで、やっと地下水を汲み出すことができるようになるのです。
水が水を呼ぶこの行為を呼び水といいます。
「しゅっぱーつ!」
とサツキたちがお母さんのお見舞いに七国山病院に自転車で向かうシーンがあります。
その時よく見るとサツキが自宅の玄関を施錠している描写があるのを覚えていますか?何やらくるくるくると回しており、私たちが普段使う鍵とは見た目が違います。
あの鍵は「ねじ締まり錠」といい、引き戸文化のある日本で独自に生まれた金物です。
今でも古い木造校舎や家屋で見られますが、見たことがない方もいるかもしれませんね。
大正時代に考案され以後、木製引き戸の施錠に広く使われていました。この施錠の方法が開発されるまでは、引き戸の施錠はつっかえ棒しかなかったんです。ですからとても画期的な方法でした。
引き戸の素材が木製からアルミサッシに変わっていったことで、私たちがよく知っている鍵が採用されるようになり、ねじ締まり錠は徐々に姿を消していきました。
サツキ「今日、田植え休みなの」
お母さん「あ、そっか」
この時代の農作業はまだ機械化が普及していません。人力と牛馬の力を使った作業です。
田植えは早朝から一家総出で、また多くの人を雇っての手植え作業でした。大変な作業で、学校に通う子どもも重要な労働力だったのです。カンタも雨降りの日の他は大体家の手伝いをしている様子でしたよね。(カンタや農家の子にとって雨の日は嬉しい日だったのかなー。)
なので農業が特に忙しくなる田植えと稲刈りの時期、3〜10日ほどの田植え休み・稲刈り休みが設けられていました。その間、子どもたちは農作業や家事や子守りをしっかり担っていたんです。
当時、電話のない人への連絡は、電報が最速の手段でした。親類の危篤や重要な出来事を知らせる緊急連絡手段として使われていました。
電報はモールス信号という短い符号と長い符号だけで文字や数字を表す通信手段を使った「モールス方式電信機」を用いました。
-連絡をしたい人が郵便局へ行き(または電話して)宛先とメッセージを郵便局員に伝える。
-局員が宛先最寄りの局にモールス信号で電信を送る。
-宛先の最寄りの局でメッセージを受信しタイプライターが自動で印字。
-印字した紙を局員が宛先へ届ける。
全国に張り巡らされた電信ネットワークによって、離れた人同士が直接物をやり取りする郵送より、遥かに速く連絡を取り合えるので広く使われていました。
電話機の普及によって使用頻度は減っていきましたが、現在でも冠婚葬祭などで使われている方法で、根強いニーズがあります。
七国山病院からの電報を受け取ったサツキはカンタの本家に連れて行ってもらい、お父さんに電話をかけます。
サツキ「もしもし。市外をお願いします。東京の31局の1382番です。はい。」
一旦電話を切り、待つ。
しばらく待つと電話が鳴る。
サツキ「もしもし。はい…」
サツキ「もしもし。考古学教室ですか? 父を…あの、草壁をお願いします。私、草壁サツキです。はい。」
サツキ「あっ、お父さん! 私、サツキ!」
お父さんのいる大学まで電話を繋ぐのに、一旦どこかで中継をしているのが伺えるシーンです。
どんな仕組みかというと、
-まずカンタの本家の最寄りの電電公社(今のNTT)の支店に電話がつながる。
-支店の電話交換台の方に、お父さんがいる大学研究室の電話番号を伝える。
-一旦電話を切っている間に、電話交換台の方がカンタの家の回線を大学の研究室の電話番号の回線に手動で繋ぐ。
-作業が終わった電話交換台の方からこれから大学に繋げますよ、カンタ本家のサツキに電話を鳴らして伝え、それでやっとサツキは研究室と直接連絡が取れた!
とこんな仕組みになっていました。
今とちがって人力で、物理的にネットワークを繋いでいたので、一旦中継が入るのです。
まとめ:トトロで学ぶ、昭和の文化
平成生まれの私が、『となりのトトロ』を観てちょっと疑問に思ったことをまとめました。
子どもがもう少し大きくなったら、ちょっとドヤ顔で「あれはこんな仕組みになっているんだよ」と伝えたいと思います。
良い映画を観ることで知識を増やしたり、新しく興味を持ったりすることができたら素敵ですよね!この記事がそんな皆さんの後押ししなれば、と思います。